東京地方裁判所 昭和39年(ワ)3544号 判決 1966年8月06日
原告 海野秀吉
原告 須永錦子
原告 海野亀之助
原告 海野一夫
原告 海野富士夫
右五名原告訴訟代理人弁護士 中村蓋世
右同 小村義久
被告 浪岡静
被告 浪岡まつ
被告 浪岡愛
被告 稲葉恵子
右四名被告訴訟代理人弁護士 谷川哲也
主文
原告らの請求はいずれもこれを棄却する。
訴訟費用は被告らの負担とする。
事実
原告ら訴訟代理人は、
第一次請求として、「一、被告らは遺言者浪岡十六が昭和三六年一二月一五日東京法務局公証人喜多川元作成昭和三六年第二八五三号遺言公正証書によってなした遺言は無効であることを確認する。二、訴訟費用は被告らの連帯負担とする。」
第二次請求として、「一、被告らは別紙第一、二目録記載不動産につき、原告海野秀吉、同須永錦子、同海野亀之助が各八分の一、原告海野一夫、同海野富士夫が各一六分の一ずつの各持分所有権を有することを確認する。二、訴訟費用は被告らの連帯負担とする。」(物件目録省略)
との判決を求め、その請求原因として、
一、原告海野秀吉、同須永錦子、同海野亀之助、被告浪岡静、同浪岡まつは遺言者訴外亡浪岡十六(昭和三八年七月二五日死亡以下遺言者と称する。)の実子、被告浪岡愛、同稲葉恵子は遺言者の養子、原告海野一夫、同海野富士夫は遺言者の孫で遺言者の子訴外亡海野鐘之助(昭和一七年一二月二二日死亡)の代襲相続人である。
二、遺言者は昭和三六年一二月一五日東京都渋谷区代々木大山町一〇四四番地の自宅において原告海野一夫、同海野富士夫を除く原、被告らに対し別紙記載の公正証書遺言をなした。
三、然しながら右公正証書遺言は次の通りの瑕疵があって無効である。
(一) 遺言者は遺言当時意識混濁の状況で自己の行為の結果を正常に判断し得る能力がなかった。即ち遺言者は昭和三四年頃に悪性白内障に罹り昭和三五年頃から全く視力を失ったばかりでなく、昭和三六年三月頃脳溢血で倒れ、同年一二月頃再び脳溢血の発作を起し絶対安静の状況にあり、その上七八才という老令で老衰がひどく、知能も著しく低下し殆ど幼児程度で、しかも前記脳溢血の発作の結果言語機能がおとろえて不明瞭となり、本件遺言当時である昭和三六年一二月一五日頃は到底遺言をなし得る能力はなかったものである。
(二) 公証人喜多川元(以下公証人と称する。)は本件遺言公正証書作成に際し民法第九六九条第一号乃至第四号の方式に従わなかった違法がある。
(1) 本件遺言公正証書作成に際し証人二人以上の立会がなかった。
(2) 遺言者は前記(一)の病状であるから公証人に対し別紙遺言公正証書記載のように詳細に遺言の内容を口授することは全く不可能であり、従って公証人が遺言の趣旨を筆記することもできなかった筈である。本件遺言公正証書は遺言者の意思に関係なく被告浪岡静、同稲葉恵子らの指示に基き公証人によって作成されたものである。
(3) 遺言者は右遺言の内容の正確なことを承認していない。
よって本件遺言は無効であるから本件遺言無効確認の判決を求める。
四、仮りに本件遺言公正証書が有効であるとしても、原、被告らは昭和三九年一月一〇日頃「(一)、受遺者七名(原告海野一夫、同海野富士夫を除く原被告ら)は遺産の放棄をする。(二)、原、被告らは、遺言者の遺産を法定相続分に応じて相続する。(三)、右(一)、(二)の合意に基き相続税の申告をする。」との合意をし右相続税の申告をした。従って原告らは遺言者の遺産である別紙目録記載の不動産を法律の規定に従い相続した。
そうすると原告海野秀吉、同須永錦子、同海野亀之助は別紙目録記載の各不動産について八分の一、原告海野一夫、同海野富士夫は訴外亡海野鐘之助の代襲相続人として一六分の一の相続持分を有する。
よって第二次的請求の趣旨記載の通りの判決を求める。
旨陳述した。
被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として、「請求原因第一、二項及び第三項中原告主張の頃、遺言者が白内障に罹ったこと、脳溢血で倒れたこと(但し脳溢血の再発の点は否認)は認め、その余は否認する。同第四項中、その主張の頃相続税の申告書を渋谷税務署長に提出したことは認めるが、その余は否認する。右申告書は相続税申告の最終期限である昭和三九年一月二五日が切迫したため、税務対策上、便宜的になしたものであって、原告ら主張のごとき遺産分配に関する合意が成立したことはないのであるから、原告らの主張は失当である。」旨陳述した。(証拠関係省略)
理由
請求原因事実中第一、二項の事実、及び、同第三項(一)のうち原告主張の頃遺言者が白内障に罹り、脳溢血で倒れたこと(但し脳溢血の再発の点は除く)は当事者間に争がない。
一、第一次請求について判断する。
原告らは遺言者に遺言能力がなかった旨主張するので検討するに、遺言能力は満一五才に達した者で遺言をする時に意思能力を有する者であれば足るところ、証人川端源太郎、同喜多川元、同中山利子の各証言並びに被告本人浪岡愛、同稲葉恵子に対する各尋問の結果を総合すると、遺言者は昭和三六年三月頃軽い脳溢血で倒れ、爾来病床に就いていたが顕著な知能障害をきたしたものではなく、人と話をする場合舌のもつれがあって不自由ではあったが、それがために人との意思疎通が不能となるほどではなく、遺言当時の意識もはっきりしており意思の表示ができる情況にあったことが認められる右認定に反する原告海野秀吉、同須永錦子に対する各本人尋問の結果は措信できない。他に右認定を左右するに足る証拠はない。
そうすると他に格別の事情の認められないかぎり遺言者は遺言当時遺言能力を有していたものというべきであるから遺言能力欠缺についての原告の主張は失当である。
次に原告は本件遺言書は民法第九六九条第一号乃至第四号に従い適式に作成された遺言でないから無効であると主張するので判断するに、成立に争のない甲第二号証及び乙第一号証の記載、証人喜多川元、同中山利子、同川端源太郎の各証言(但し、証人中山、川端の証言中後記認定に反する部分を除く。)、被告浪岡愛、同稲葉恵子に対する各本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を総合すると、被告浪岡静が遺言者の言附で、遺言公正証書作成の件につき公証人を公証人役場にたずね、病床に臥している遺言者が遺言をしたい旨を伝えたところ、右公証人は静に対し、遺言者の遺言の希望内容をメモ程度に纒めて置いて貰い度い旨の要望があったので、静は帰宅後、遺言者に公証人役場での話を報告し、母の希望内容を書きとったメモを後日公証人のところに持参し、日時を打合せ、その他必要事項の指示をうけ、静はその指示の趣旨に従い、遺言の際の立会証人を医師川端源太郎、遺言者の知人中山利子に依頼したこと、遺言当日である昭和三六年一二月一五日午後、東京都渋谷区代々木大山町一〇四四番地浪岡十六方自宅に右川端源太郎、中山利子は遺言の立会証人として約束の時間に遺言者宅を来訪したこと、その頃出向いた前記公証人が遺言者の病床で遺言者から遺言の内容をきき、前記メモを参考にして遺言者の遺言内容をたしかめ、遺言者の意思にしたがい、遺言の内容を記載し、遺言者に対し、遺言の内容と相違するところがあるかどうか念をおし、相いない旨の返事をえたのち、前記立会証人川端源太郎、同中山利子に右書類を見せ右立会証人らはこれに目を通した上で署名押印をしたことが認められ、証人川端源太郎、同中山利子の証言中、右認定にそわない部分は、証人喜多川元の証言、被告浪岡静本人尋問の結果ならびに前記甲第二号証、乙第一号証の各記載と対照して、たやすく措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
以上の次第で、結局本件遺言は前記認定の通り民法第九六九条各号に従い公証人により適式に作成されたものと推認できるから原告の主張は失当である。
二、次に、原告らは、原被告らが遺言者の遺贈を放棄してその遺産を法定相続分に応じて相続するとの合意をなした旨主張するので判断する。
原本の存在ならびに成立に争のない甲第四号証の一、二、成立に争のない同第五号証の一ないし八、原告海野秀吉(第一、二回)、原告須永錦子、被告浪岡静、同稲葉恵子各本人尋問の結果によると、原被告らは昭和三九年一月二五日所轄税務署長に対し、遺言者の遺産を法定相続分に応じて相続したかのごとき記載のある相続税の申告書を提出し、後日、便宜原告海野秀吉は同海野一夫、同海野富士夫の分をも含めて、同須永錦子は同海野亀之助の分をも含めて、右申告にかかる相続税の納付をしたこと、右のとおり相続税の申告がなされた当時原告らの間には本件遺言の内容につき不満があり、遺言の効力にも疑いをいだき、原被告間では遺産の分配をめぐって争いがあって容易に解決の目途がたたない状況であったが、そのうちに相続税の申告書提出期限は切迫し、これを所定期間内にすませないと不利益を課せられることを憂慮し、原告海野秀吉、被告稲葉恵子らが、それぞれ他の原被告らと連絡のうえ、前記申告書を提出するにいたったことが認められるが、被告稲葉恵子、同浪岡静に対する本人尋問の結果によると、右は、とりあえず相続税だけを、とに角簡便な平等負担の形式で申告することとして差し迫った税金問題を一応処理する趣旨に出たにすぎないものであることを認め得るので、前認定の事実をもって原告らの前記主張事実の存在を推測するわけにはいかない。原告海野秀吉(第一、二回)、同須永錦子に対する各本人尋問の結果中、右認定にそわない部分は被告稲葉恵子、同浪岡静に対する本人尋問の結果にてらし、たやすく措信しがたく、他に原告らの前記主張事実を認めるにたりる証拠はない。のみならず、成立に争のない甲第六号証の三の記載によると、原告海野秀吉、同海野亀之助、同須永錦子らは、被告浪岡静、同浪岡愛、同稲葉恵子、同浪岡まつらを相手方として、昭和三九年二月二四日、東京家庭裁判所に対し遺言による遺産分配に関し不満があること等を理由に家事調停の申立をしたことが認められ、もし原告が本訴で主張するがごとき合意が同年一月一〇日頃すでに成立したとすれば、その翌月にかかる調停申立をする必要さえなかったのではないかと推測することもできるし、また原告主張のごとき合意が成立したのであれば、遺贈の放棄その他遺産の分配に重大な影響を及ぼすべき事柄であるから、その翌月にあたる右調停申立の際、右合意が成立したことが述べられる筈であると思われるのに、前記甲第六号証の三の記載によると、遺産の分配につき公平な配分方法を再三相手方らと話し合ったが折合がつかないので調停申立に及んだ旨記載されているが、原告主張のごとき合意が成立したことについては全く触れていないことが認められ、以上の情況にてらしても、原告主張のごとき合意が成立したとは容易に認めることができない。したがって、原告の前記第二次的請求も排斥を免れない。(以下省略)